中国の“地べたポリティクス”

シドニーで出会った中国人の20代男性

菅田将暉みたいな顔立ちと髪型で、素朴かつ今風な感じというか、まあいわゆる普通の男の子である。

彼に、中国の政治について話を振ってみたところ、いろいろと発見があっておもしろかった。

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「習近平」とは、口にできない

中国で政権批判をすることは身の危険を伴う

……というのはよく知られた話だが、

実際のところ、表だった政権批判をしないからといって、個人が内心で批判的な感情を抱いていないというわけではないでしょう?

と直裁に聞いたところ、彼は

もちろん。そもそも政治の話をしてはいけないというルールがあるわけじゃないから、理論的には問題ない

と前置きしつつ、

けど、自分はやらない。実際、怖いし

という。

習近平を批判するのはやっぱり怖いんだね

と聞けば、

『習』なんて本国で絶対口にできない

と目を見開いて手で口を塞ぐので、まるでヴォルデモート卿みたいな扱いなんだなぁと驚かされた。

『1984』を生き抜く知恵

仮にSNSで批判めいた投稿をするのはあまりに迂闊だとしても、

例えば家族や友達と政治の話をしたりすることはあるでしょう?

と聞いてみると、

それもやろうと思えばできるけど、やらない

という。なぜなら

そこらじゅうに監視カメラがあって、どこで見られているかわからないから

『1984』のディストピアみたいだが、これが平凡な中国人の男の子の飾らない発言である。

ただ、私は「不満はどこかに表出しないわけがない」と思うタチである。何度か重ねて聞けば、

実は不満を投稿している人はよく見かける

という。でも、どうやって?

彼によると、別の言葉に置きかえて批判するのが伝統的なやり方で、たとえば短文投稿のSNSで政権を誉めそやす言葉をたくさん書き込むものの、実際のところ、自分の身近なコミュニティ内では正反対の意味として理解するという共通理解が共有されているようなケースである。

彼はこれを「京都人と同じ」と言って笑った。

京都人は『ピアノがとても上手ですね』と言うんでしょ?

ある人はそのままの意味で取るかもしれないけど、ある人は『演奏がうるさいから静かにしろ』という意味として取る。

どちらにせよ大事なことは、本当の意味は結局、第三者にはわからないということ。

字面で取るべきか、メタな意味なのか、短文投稿ではわからない。だから政権は投稿を削除できない

なるほど人間というものは、したたかな生きものである。
そういう強かさにこそ、地べたのヒューマニズムは宿るのだ。

検閲がもたらす内輪思想

しかし、彼はこう付け加えることも忘れなかった。

中国の政権は、いつも内政は素晴らしいと喧伝する一方で、外国をけなす。日本はダメだ、アメリカはダメだと言う。

中国国内は、いつも素晴らしいが、外国はいつもダメだと。

だから中国から出たくないと思う中国人は多いし、中国の政治に満足している

それが中国の未来にとって良いことかどうかは分からない。

だが、そうした喧伝政策が中国のアジア諸国に対する「軍事的挑発」を下支えする国民的な理解という素地を形作っているのだとしたら、隣国の日本人としては無関係ではいられなくなる。

ひるがえって日本国内。こちらにも、日本の内政を批判する行為そのものを批判する人がいる。

しかし、問題を見なかったことにして「内政はいつも素晴らしい」と喧伝する日本人であることは、「日本を良く見せる材料としての外国」(外国はダメだが日本はそれと比べてやっぱり素晴らしい)という内輪思想を内在しやすい点に注意が必要だと感じさせられる一件である。

それが「日本人であることに誇りをもつこと」とはまるきり違うことは言うまでもない。

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