海外に憧れを抱かせた「失われた30年」

私は高校生くらいの時から、海外にぼんやりとした憧れを抱くようになった。

紀行モノの名著・沢木耕太郎『深夜特急』を読み、世界には、同じ時代を生きながら日本人とはまるきり違うものの見方をする人がたくさんいることを知った。

生まれた場所が違うだけで、生まれた家庭が違うだけで世界の見え方や考え方が180度違うなんて、まるでパラレルワールドのようで不思議だった。

そして、いつか世界を直に見たいという思いが芽生えたのである。

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「失われた30年」は、私の30年

もともと海外に憧れがあったのは、日本のある種の「閉塞感」とも強い関係がある。

バブル崩壊中に生まれた私は、幼い頃に親が「仕事がなくなってクビ切られるんだよ、怖いねえ」と話していたのを強烈に覚えている。

なぜ「強烈に」記憶に残っているかといえば、まだ子どもだった私が、本当に「首」を切られるものと思い込んだからである。

「痛そう」という肉体的な感情が脳裏に焼き付くのは、人類の長い進化の歴史で勝ち取った生存戦略がなせるわざであるなァと、つくづく感心する。

それはさておき、バブル崩壊とともに生まれた世代は、多感な時期にアンハッピーなイベントをたくさん経験している

私の年齢と、その年に起きたできごとを振り返ってみると、次のようになる。(解説はNHKなどを参考に作成)

バブル崩壊(1991〜93年)筆者:0〜1歳

筆者の誕生日に経済企画庁(当時)が発表した月例経済報告では、昭和62年12月以来、毎月盛り込まれていた「景気拡大」の表現が初めて外され、事実上、景気拡大が終わり後退局面に入ったとの見方を示した。ここから「失われた30年」が正式に始まる。1993年には、赤ちゃん誕生が過去最低、離婚が過去最高を記録した。

阪神・淡路大震災(1995年)2歳

午前5時46分、淡路島を震源にしたマグニチュード7.3の地震が発生した。最大震度は7。6434人が死亡し、住宅被害は63万9,689棟にのぼった。近畿地方の広範囲が被災し、特に神戸市の被害は甚大で、現代日本で初めて大都市が大地震に襲われた。全国から多くのボランティアが自然発生的に集まり、「ボランティア元年」と呼ばれた。

地下鉄サリン事件(1995年)3歳

多くの通勤客が使う東京の地下鉄を狙って猛毒の神経ガス・サリンがまかれた未曽有のテロ事件。13人が死亡し、被害を受けたのは約6,300人にのぼった。松本元死刑囚や幹部の信者、合わせて10人が関与。使われたサリンは強制捜査の動きを知り、幹部がわずかに残っていた原料から1日で製造した不純物が混ざった茶色のサリンだった。

消費税5%に引き上げ(1997年)5歳

消費税導入から8年。税率が3%から5%に引き上げられた。同年にアニメ「ポケットモンスター」の放映が開始したが、ポケモンのぬいぐるみやお菓子もちょっぴり高くなった。

金融危機「11月危機」(1997年)5歳

【三洋証券が会社更生法を申請、事実上の倒産】
平成9年11月、日本の金融機関は本格的な試練に直面。「11月危機」と呼ばれる事態を迎える。準大手の証券会社、三洋証券は系列のノンバンクが多額の不良債権を抱え、経営が悪化。再建策を模索していたが断念。東京地裁に会社更生法の適用を申請した。証券会社の倒産は戦後初。

【北海道拓殖銀行が経営破たん】
信用悪化で預金流出が止まらない事態に至り、大蔵省と日銀は「破たんやむなし」と判断。都市銀行の倒産は戦後初めて。市場では「大手金融機関はつぶさない」という大蔵省の保護行政は事実上崩れたとの見方が強まり、「次はどこだ」と疑心暗鬼に。

【山一證券が自主廃業】
総会屋への不正な利益供与に続き、取引先に生じた株取引の損失を次々に移し替える「飛ばし」と呼ばれる債務隠しが長年続けられていた。「社員は悪くありませんから!」という社長の涙ながらの会見は今なお鮮烈な記憶を残している。

北朝鮮 弾道ミサイル テポドン発射(1998年)6歳

弾道ミサイルは日本の上空を超え三陸東方沖の太平洋まで到達していた。政府は日本の安全保障にかかわる極めて重大な事態だとして北朝鮮側に厳重に抗議した。

小泉純一郎内閣発足(2001年)9歳

「派閥や順送り人事はしない」と強調、閣僚に田中真紀子外相や森山真弓法相など女性5人、竹中平蔵慶大教授など民間人3人を起用した。各種世論調査の内閣支持率は過去最高水準となった。所信表明演説では「聖域なき構造改革」への決意を語った。

アメリカ同時多発テロ(2001年)9歳

アメリカで旅客機4機が乗っ取られ、2機がニューヨークの超高層ビル、世界貿易センタービルの南北両棟に相次いで衝突、両棟とも炎上し崩壊した。ワシントン郊外の国防総省にも1機が突っ込んで炎上。残る1機はピッツバーグ近郊に墜落した。米政府はアフガニスタンに活動拠点を置くイスラム過激派指導者オサマ・ビンラディンの組織が犯行に関与していると表明した。

新潟県中越地震(2004年)12歳

M6.8 最大震度7 死者68人 負傷者4805人。上越新幹線は長岡駅近くで脱線。新幹線の脱線事故は初めて。

自殺対策基本法が成立(2006年)14歳

自殺者の数が8年連続で3万人を超え、深刻な社会問題となる中、自殺が個人的な問題ではなく、その背景に様々な社会的な要因があることをふまえ、自殺対策は社会的な取り組みとして実施されなければならない、という基本理念の法律を制定。国や地方自治体に医療機関の整備や調査研究などの対策を講じることを求めた。

ゆとり教育転換へ(2008年)15歳

2011年から行われる新しい学習指導要領について中央教育審議会は現在より教える内容と授業時間を増やすべきとする答申をまとめ、昭和50年代から減り続けてきた授業時間がほぼ30年ぶりに増加に転じることになり、ゆとり教育からの転換が鮮明になった。

米の大手証券会社リーマン・ブラザーズが経営破たん(2008年)16歳

100年に1度のショックと言われる歴史的な金融危機「リーマン・ショック」となった。経営に大打撃を受けた日本企業は雇用が維持できなくなり、非正規社員の雇い止めや派遣切り、聖写真のリストラが社会問題化した。翌年2009年7月の失業率は過去最悪の5%、失業者のカ数は364万人と、リーマンショック前と比べて100万人希望で増加した。

第45回衆院選 民主大勝 政権交代(2009年)17歳

当初、「選挙の顔」として期待された麻生首相は、内閣支持率の低迷が続き、事実上の任期満了の解散・総選挙となった。結果は、民主党が1つの政党が獲得した議席としては戦後最多となる308議席を獲得して大勝。自民党と公明党は大敗し、政権交代が実現した。選挙後、民主党の鳩山代表が総理大臣に選出され、民主・社民・国民新党による非自民の連立政権が発足。

東日本大震災・福島第一原発事故(2011年)19歳

午後2時46分ごろ、東北沖でM9.0の巨大地震が発生。最大震度は宮城県栗原市の震度7。東北や関東の沿岸に高さ10メートル超の津波が押し寄せた。
死亡が確認された人は1万5,897人、行方不明者は2,533人(警察まとめ)、避難生活などで亡くなった「災害関連死」は3,701人で(国まとめ)、震災による犠牲者は2万2,131人にのぼっている。(2019年3月11日現在)
震災直後の避難者は約47万人にのぼり、2019年2月時点で5万1,778人となっている。
気象庁は国内観測史上最大規模の地震であったこの地震を「平成 23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震」と命名。 4 月 1 日にこの地震による災害について「東日本大震災」と呼ぶことが閣議決定された。
福島第一原発では、東日本大震災の津波で施設が壊れて電源が確保できなくなり、1号機から3号機の3基の原子炉がメルトダウンするという世界最悪レベルの事故となった。大量の放射性物質が広い範囲に放出され、多くの住民が避難を余儀なくされたほか、福島県だけでなく日本の社会や経済に深刻な影響を与えた。

国の借金が1000兆円を超える(2013年)21歳

国債や短期の借り入れなどを合わせた国の借金がこの年の6月末時点で1008兆円余となり、初めて1000兆円を超えた。財務省まとめ。

消費税8%に引き上げ(2014年)22歳

増収は医療や年金などの社会保障費の財源に充てられた。

拘束された日本人2人の身代金要求映像がネット上に公開(2015年)22歳

ISメンバーとみられる男が拘束した日本人2人湯川遙菜さん、後藤健二さんとともに身代金を要求する映像がネット上に公開。その後、2人は殺害された。

安全保障関連法が成立(2015年)23歳

集団的自衛権の行使を可能にすることなどを盛り込んだ安全保障関連法が成立。戦後日本の安全保障政策が大きく転換。成立を前に国会前には学生らで作るグループ「SEALDs」や著名人らも集まり反対運動を繰り広げた。

熊本地震(2016年)24歳

2日後の16日にもM7.3の地震があり、益城町と西原村で震度7の揺れを観測した。気象庁は14日の地震を「前震」、16日の地震を「本震」とする見解を示した。死者272人、負傷者2,808人にのぼった。

電通新入社員の自殺 労災認定判明(2016年)24歳

女性の母親と弁護士が会見。母親は「過労死が繰り返されないように、企業の労務管理の徹底と国の企業への指導が速やかに行われることを強く希望します」と訴えた。働き方改革のきっかけの1つになった。

相模原障害者施設殺傷事件(2016年)24歳

入所者19人死亡、職員含む27人が重軽傷。警察署に出頭してきたこの施設の元職員 植松聖容疑者を逮捕。「障害者は不幸を作ることしかできない」などと供述、社会に大きな衝撃を与えた。殺人事件としては平成に入って最悪の被害だった。

米大統領にトランプ氏就任(2017年)24歳

トランプ氏は「アメリカを再び偉大にする」というスローガンを掲げ、現状に不満を抱く有権者から支持を得て、政治家として公職に就いたことがなく、軍人としての経験もない初めての大統領になった。
アメリカ初の女性大統領を目指し、敗れたクリントン氏(民主党)は「ガラスの天井を破ることはできなかったが、そう遠くない将来に誰かが実現すると期待している」と述べた。

天災、不景気、世界情勢不安ーー。

1992年が「失われた30年」の公式スタートだとすれば、私の30年間はまさに、それとピッタリ符合する

実際、「好景気」は歴史の教科書でしか知らない私は、不透明で不安定な空気感で、なかなか希望を持てない時代に、青年期を過ごしたのである。

「安い」ニッポン

そんな中、日本が「先進国では最下位」であるとか、「色々遅れていて、先進国とはもはや呼べない」とか、依然として成長する世界と比べて日本が劣っているかのような主張を耳にすることが多くなった。

一生懸命、身を粉にして働いたとしても、これ以上、豊かな暮らしが望めないどころか、ますます悪化する可能性の方が高いのではないか

「失われた30年」は、そのまま30年で終わるかもしれないが、終わらずに「失われた40年」になる可能性だってある。

そうした澱みのような閉塞感がずっとある。

経済力を測るビッグマック指数

世界経済が成長し続ける一方で、日本経済の成長は、バブルが崩壊してから、ほとんど止まったままである。

「高い日本」は終わり、いまや「安い日本」と言われることが多くなった

実際、日本が「安い」ことを裏付ける客観的なデータがある。

有名な「ビッグマック指数:The big mac index」(通称BMI)である。

世界中のマクドナルドで販売されているビッグマックの平均価格を比べることで、それぞれの国や地域の経済状況(物価水準や購買力)をわかりやすくするものだ。

ビッグマックは世界中どこでも、ほぼ同じ材料や工程で作られており、一つあたりのコストに差がほとんどないため、通貨の実質的な価値までを含む総合的な経済力の目安となる。

イギリスの経済誌「エコノミスト」が毎年1月と7月の年2回発表していて、2024年1月のデータは次のようになっている。

ranknationprice(¥)
1スイス1207
2ノルウェー1056
3ウルグアイ1041
4ユーロ圏867
5スウェーデン867
6コスタリカ845
7イギリス844
8デンマーク842
9アメリカ841
10スリランカ841
11カナダ821
12メキシコ768
13コロンビア752
14オーストラリア750
15サウジアラビア749
16ニュージーランド740
17ポーランド734
18シンガポール733
19ベネズエラ729
20アラブ首長国連邦724
21ブラジル711
22レバノン710
23チェコ681
24クウェート672
25イスラエル668
26バーレーン667
27チリ659
28ニカラグア642
29ペルー628
30ホンジュラス611
31韓国607
32ハンガリー588
33トルコ586
34カタール569
35アルゼンチン567
36パキスタン563
37タイ559
38グアテマラ549
39オマーン545
40モルドバ527
41ヨルダン522
42アゼルバイジャン517
43中国513
44ルーマニア506
45日本450
46ベトナム445
47香港435
48ウクライナ434
49フィリピン423
50マレーシア411
51エジプト406
52南アフリカ400
53インド383
54インドネシア359
55台湾353
出典:Our Big Mac index shows how burger prices are changing(The Economist)
※BMIはUSドル基準。ドル円の為替レートは2024年1月時点(1ドル=147.86円:The Economist)

日本は55カ国・地域のなかで45位に位置づけられていて、韓国やタイよりも低い

また、下記の画像はエコノミストからの引用である。

色がついたドットが国の一つ一つを表していて、日本は黒いドット

赤いドットが日本円よりも価値の低い通貨を使う国、そして青いドットが日本円よりも強い通貨を使う国である。

日本円よりも強い通貨が、弱い通貨と比べてたくさんあることが一目瞭然だ。

日本は賃金も低い

日本が安いのは物価だけではない。給料も安いのである。

グラフはOECD(経済協力開発機構)による2023年の平均賃金調査で、世界の平均が53,416ドルなのに対して、日本は41,059ドルだった。アメリカ(77,463ドル)とは倍近い開きがある。

主要先進国(G7)では最下位なうえに、韓国(48,922ドル)よりも低い

イケてる社会の空気とは、どのようなものかしら?

ただ、「世界の平均を下回るニッポン」という経済データがあるということは、裏返せば、世界には日本より経済的に恵まれた国がたくさんあるということである。

それは私にとっては、ある種の「希望」とも映った。

外国人はのんびりとした生活を送っているイメージがあるが、それでも日本人より多く給料をもらっているのだとすれば、そうした国の空気はもっとおおらかで、希望に満ちているのではないだろうかーー。

そんな「イケてる社会」を、一度体感してみたい。

それが海外暮らしへの憧れを生み出す源泉であった。

引き金はコロナ

長年の「憧れ」が「実行」に移ったきっかけは、コロナだった。

未知のウイルスに対して、一家に2枚のマスクを配る日本政府の対応は、戦時中、空襲に竹槍で対抗した歴史を彷彿とさせる、あまりにお粗末なものだった。

だがそれ以上に、国から「外出自粛」という名で事実上の“外出禁止命令”が出て、世界最大の乗降客数を誇る新宿駅に誰もいない日が来るなんて、想像もしなかった

志村けんさんが亡くなり、昨日元気だった人が明日にはいなくなる無常を感じた

そうして、私はふたたび「この世の不安定さと不透明さ」を痛感し、「明日が来ないかもしれない」というリアリティを初めて真剣に意識したのである。

「海外に住んでイケてる世界を見てみたい」という夢は、今は夢のまま無かったことにできるかもしれないけれど、もし死に際に「あの時、行っておけばよかった」と思ってしまったら、大変な後悔が訪れることになるだろうと思ったのだ。

メメント・モリ

巨万の富をもつイーロン・マスクと、インドの路上生活者の共通点は、いずれ死ぬということである。

この「死」という問題をきちんと見据えて生きることは、誰しもが迎える「最期」に大きな違いを生むのではないか。

成功と失敗が重要ではないとは言わないけれども、その前に挑戦さえしなければ、「自分らしい人生だった」と思えないのではないか

「メメント・モリ」(memento mori)という言葉がある。

ラテン語で「死を忘れるな」という意味である。

「死」という概念は、今の自分の生き方が本物か偽物かを照らし出す装置なのだ。

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